第14回 OTAGAISAMAの輪!OTAサポ 日比将人さま

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第14回 OTAGAISAMAの輪!OTAサポ 日比将人さま

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第14回 OTAGAISAMAの輪!OTAサポ 日比将人さま

今回はOTAGAISAMAサポーターとして応援してくださっている、日比将人さんにインタビューさせていただきました!「こども、みらい、つなぐ」をモットーに小児科・小児外科クリニックを運営する日比さんは、どのような人生を送り、どのような経緯でIAECを応援してくださっているのかついて伺いました!

自己紹介

自己紹介

日比将人(ひび まさひと)と申します。愛知県知多市で小児科・小児外科オーシャンキッズクリニックという病院を2014年に開業し、運営しています。学生のころに研修先の京都府立医科大学の小児疾患研究施設で、腸が飛び出た状態で生まれ、数時間で死んでしまうような子を淡々と1時間ほどで治してしまうのを見て衝撃を受け、そこから小児外科に関わってきました。

 

 小児科を開業していますが、普通の小児科とは違い小児外科を主にやっているので、医療児、医療的ケア児の子どもを診ることもあります。

目次

マイブーム

マイブーム

※写真はイメージです。

「きずなラン」という期間を決めてみんなで合計2万キロ走ることをやっています。長男の通う学校でやっていたんですが、親御さんも参加しませんかとメールを頂きました。運動は大学以来ほとんどやっていなかったので、良い機会だと思い、妻と一緒に1日2キロほど走っています。

自然に囲まれ純粋に育った幼少期

自然に囲まれ純粋に育った幼少期

生まれは愛知県知多郡美浜町です。祖父母が海の家をやっていました。半島で海や山に囲まれていたこともあり、小学校高学年までは虫取り、海釣りばかりしていましたね。田舎なのでみんなで外で遊ぶようなことが多く自由に生きていました。世間を知らず、純粋に育ちましたね。

初めて世界の広さを知った高校時代

初めて世界の広さを知った高校時代

※写真はイメージです。

小中学校は地元の子としか関わってこなかったので、高校に入り市外から来た同年代と初めて関わって、周りに東大とか行くような人や絶対音感をもつピアノをやっている人などがいて、世界の広さを初めて感じました。自分って何も取り柄がないなってちょっとショックを受けました。

高校3年生で初めて進路を考えるときに、昔フナの解剖が面白かったことを思い出しました。解剖して、ここが胃でここが腸で、と観察するんです。それに、機械を触るより、人と関わる方が楽しいなと思ったんです。

そこから医学部を目指すようになり、本格的に勉強を始めるんですが、やってたらなんとかなると気楽に考えていましたね。集中すると勉強が楽しいなと思っていたので苦ではありませんでした。医学部はお金もすごくかかるので、国公立の富山大学だけを目指していました。

好きなことを楽しむ大学時代

好きなことを楽しむ大学時代

※写真はイメージです。

無事富山大学に合格して、シーズン中は毎週のようにスキーをしに通っていました。富山は魚が美味しかったので、釣りも楽しみました。
大学の思い出はスキー、釣り、麻雀の記憶がほとんどです。

国家試験の勉強は釣り場でやっていました。待っている時間って案外覚えられて、あの魚釣ったときに覚えたなあって連鎖で思い出すことができるんです。

何事も問題なく過ごせていましたが、国家試験のときにピンチが訪れました。在学中に1度スピード違反で免停になったことがあるんですが、国家試験が通常受験できないんですね。そのときに初めて知ったんですが、前科1犯扱いになるので、別室受験対応になるんです。また、通常と比べ別途審査が入るので、1ヶ月合否通知が遅いんですね。

加えて、靱帯を損傷してしまい、松葉杖での受験でした。色々なことが重なり今回は本当にやばいかもしれないとピンチでした。結果は、なんとか合格していて、本当に安心しました。

重度心身障がい者たちと初めての関わり

重度心身障がい者たちと初めての関わり

京都府立医科大学の小児疾患研究施設に就職しました。2年間研修で毎日のように泊まり込みましたが、全然苦ではありませんでした。症例を勉強して、色々なことにどんどん挑戦していくことが楽しいんです。

 

研修が終わると別の病院へ行くことになるんですが、病院にも人気不人気があるんですね。手術がたくさんあるような大きい病院は人気で、手術の少ない田舎の病院は不人気なんです。私は1番行きたくなかった兵庫県の田舎の病院に行くことになりました。

そこでは、重度心身障がい者用の病棟が5棟あり、そこで初めて障がい者と関わることになりました。

 

普通では考えられないような症状を診る機会が多く、毎日勉強になりました。中には、会話が出来ない人もいるんですが、看護師さんから「いつもと様子が違う」など言われるんですね。僕は行っても普段を知らないので分からないんですが、実際検査すると緊急で手術しなければならないということもありました。

 

そのとき、こういうことに気づくことの出来ない医者になりたくないと思いました。それから、家族がおかしいと言ったら絶対検査するようにしました。1年間その病院で過ごしましたが、とても良い経験になりました。

普通の子と一緒に、区別しないことの重要性と苦悩

普通の子と一緒に、区別しないことの重要性と苦悩

2001年くらいに大学に戻るんですが、あるお子さんの受け持ちになるんです。その子は胎児期から生まれてもすぐに亡くなってしまうことが分かっていました。生存率は1%です。命は助かりましたが、何回も頭から出血したり、白内障になってしまったり障害が残ってしまったんですね。仕方ないと言われればそうですけど、私にとっては「こうすれば障害が残りにくかったんじゃないか」「普通の生活をしてお家に帰してあげたかった」と、自分の責任だと感じていました。

ただ、お母さんからはすごく感謝されました。喋れないと言われていましたが、「先生、こんにちは」と話してくれたり、歩けないと言われていましたが、歩けるまで成長しました。それを見たとき、本当に良かったと安堵しました。

数年後、親御さんから手紙をもらいました。その子が小学校に入るとき、市の職員から「こんな子が地域の学校に行くと、絶対にいじめられるからやめなさい」といわれ、本当にショックを受けたこと、その言葉を聞いて絶対に地域の小学校に行かせようと思ったことが綴られていました。これを読んだときは涙が止まりませんでした。

自分としては、障害が残らないようにすることが全てだと思っていましたが、普通の子と一緒に普通に出来ることが大事です。出来ないって決めつけてるのはいつもこっち側なんですよね。

実際は、みんな難しいことは手伝ってくれて、同じように接してくれるんです。その子が読み聞かせをしたときはみんな泣いて聞いてくれたと言っていました。子ども達の接し方を見て、先生達や周りの大人の接し方が変わったんです。
子どものうちから、区別をしないことがすごく大事だと学びました。

自分の今を繋ぐ、経験や出会い

自分の今を繋ぐ、経験や出会い

※写真はイメージです。

あるとき、父親が癌になり愛知県に帰らなければならなくなったので、愛知県の藤田医科大学にうつることになりました。その病院では、小児外科と小児の肝臓移植をやっていました。

 

肝臓移植とは、親の肝臓の1/3から半分をもらって、子どもの肝臓を全て取り出して入れ替えるんです。生体肝移植は他に治療法がなく、既に状態の悪い患者さんに対して行う治療ですので、一か八かの部分があります。他の大学病院でも手に負えないため搬送されてきて、手術するんですが、術後の感染症とか拒絶反応や肺炎などで亡くなってしまう場合もあります。それが凄まじくて、最初はここに来たのは失敗したかなと思うくらいショックだったんです。

他の大学病院でも手に負えないので搬送されてきて、ダメ元で手術するんですが、術後の感染症とか一次器官切開や肺炎などが起こるんです。

 

それでも、なんとか退院して、大きくなって今二十歳を超えた子もいます。それってものすごい沢山の人との関わりじゃないですか。

 

医者1人じゃどうにもならず、そもそも肝臓をくれる家族がいないと出来ない。貰う肝臓がたまたまマッチしたからできた話。あらゆる偶然が繋がって命をつないでいくんですね。

今まで手術をやりたいからこういう病院行きたいとか、自分がいろんな病気を経験したいからこの病院行きたいと思っていたことがすごく恥ずかしくなりました。

経験したことや出会った人たちが自分の今を繋いでくれていたんだなと気づかされました。

開業の選択肢

開業の選択肢

小児の肝臓移植は初めての経験だったので、一生懸命勉強し、医学博士をとるために論文を書いて、学位をとりました。大学なので、助手、講師、助教授、教授と上がっていくんですが、このまま手術から離れることが嫌で教鞭はとりたくありませんでした。自身の今後について考えていたとき、ある日突然妻から、「開業しないの?」と聞かれました。

 

私は実家は開業医じゃないし無理だろうと考えていたんですが、その1週間後、地元の友達から「ちょっと跡継ぎを探している病院があるんだけど」と言われました。それが転機でしたね。結局その病院は継がなかったんですが、様々な病院を見学して、開業の選択肢があることに気づきました。

調べていくと、大学で教鞭をとるよりも自分のやりたいことはこっちだと思うようになりました。色々なことができるんですね。

学校にもいけるし、地元のコミュニティにもなるし、色々な人にも出会えます。開業してからは今まで医学系のセミナーしか行けなかったんですが、異なるジャンルのセミナーや講演会にも行けるようになりました。医者以外の人と出会うことがなかったので、異なる職種の人と関われることが凄く新鮮で嬉しかったですね。

 

医者以外の人と関わると勉強になることが凄く多いんです。おもてなしの精神も彼らから学びました。医者は人を待たせて当たり前のような部分があったんですが、そう思っていたことが恥ずかしいです。それから、アンケートをとったり、待ち時間を気にするようになり、患者側の立場に立って物事を考えられるようになりました。

これからのビジョン

これからのビジョン

※写真はイメージです。

一般診療で診る便秘やお腹のトラブルの根幹となる腸、食事についてどうにかしたいと思っています。子どものミネラル不足や腸内フローラの異常についてこの間学会で発表したら、「エビデンスがないでしょ」と言われたんです。エビデンスを作り、医療従事者を説得させなければいけないんです。


開業してから、研究から離れていたんですが、エビデンス作りのためにデータ集めや研究を行っていく予定です。

IAECを応援する経緯

IAECを応援する経緯

参加している神田さんのオンラインサロンで出会い、Facebookを通じてIAECのことを知りました。今までの経験を思い出して、山口さんと話してみたい、応援したいと思いました。

何かしたいけど何もできないモヤモヤを、「応援すること」で解消されればいいなと思っています。

一緒にできたらいいこと

一緒にできたらいいこと

2年後に全国学会を高山市でやるんですが、その実行委員に選ばれました。

まだ何も決まって無いので、障がいのある方がこんなに普通に頑張れることを小児科の先生に知ってほしいです。来てもらうのが一番いいかもしれないけど、オンラインでもいいので登壇してほしいですね。

中には障害児の在宅医療に取り組まれている小児科の先生もいるんですが、すごく少数派なんですね。そういう人たちと繋げることが出来たら嬉しいです。

OTAサポの皆さまへメッセージ

OTAサポの皆さまへメッセージ

※写真はイメージです。

会員の皆さまがどんな感じか分からないので、皆さまの活動が見えるとお互い良いですね!

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いかがでしたでしょうか?

日比さんのような面白い経験と才能を持った方々が、IAECのOTAGAISAMAサポーターには沢山いらっしゃいますので、今後もご紹介していきます。

また次回をお楽しみに!

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